前回は八支則のヤマの2つ目、サティヤについて説明しました。
→【八支則のヤマ】ブラフマチャリヤ(Brahmacharya)はエネルギーの集中
今回はヤマの最後、アパリグラハ(Aparigraha)について、更に細かく説明しようと思います。
5. アパリグラハ(Aparigraha – 不貪、非所有)
不貪(ふどん)と言うと分かりづらいですよね(笑)
どん欲の“貪”ですので「むやみやたらにモノを欲しがらない」という意味です。
アパリグラハも、基本的にはアスティヤやブラフマチャリヤと近いですね。
自分のどん欲さを捨てること、どん欲さに身を任せないことです。
例えば、自分が必要だと思っている以上に物を持つと、それ自体に執着が湧いてしまい、それを失うことを恐れてしまいます。
そして「奪われるのではないか?」と他者に対して恐れや怒りの感情を持つと言われています。
アパリグラハの本質は、外的世界に縛られること無く、自分の内面での満足感を高めることにあります。
外の物質的なものでも「自分が何を持っているか」ではなく、「自分はどんな人間なのか?」を見つめていき、必要かどうかから、考えていくのです。
そうしていくと自然と必要なものだけが残り、隣の芝生は青くは見えなくなっていくわけです。
他者と話すときにも対等に話すことができ、他者に寛容になり、人に何かを与える存在になるのです。
もう一度端的に書くと、アパリグラハの本質は、他者に寛容になり、人に何かを与える存在になることです。
それはモノやお金などの物質的なものだけではなく、希望や勇気などを与えることかもしれません。
ヨガ・ストーラには『アパリグラハが定まると、人生の目的が定まる』と書かれています。
人生の目的をしっかりとした人に会えば分かりますが『自分はこういうことを成し遂げたいから、現在こういう活動をしているのです。』と人生の目的を語っている姿は、自然と「応援したくなる、スッキリとした気持ち」が湧いてきますよね。
そういった希望や情熱を与える存在になれることが、アパリグラハの本質だと、僕自身は考えています。
また、アパリグラハは「しなければならない」を自他ともに無くすことも大切です。
自分に「○○しなければならない」は、その行為自体が義務になっている状態です。
他者に「○○しなければならない」は、自分のエゴで相手を操作しようとしています。
どちらにせよ「○○しなければならない」は、「もっと」の感情が出ている時に発生します。
アパリグラハを守るのならば「○○しなければならない」は相手に押し付けること無く、また、自分自身にも無理に押し付けずに心地の良い状態を保ちながら続けていくことです。